header logo  
Illustration Garelly Animal Welfare Activities Stories facebook

home

works

about us

contact

blog

kotonoha

シロの思い出

1999年7月26日の夜中に我が家の猫、シロが亡くなりました。妻の膝の上に抱かれて静かに息を引き取りました。我が家には犬が2匹いますが、シロは私たちにとっては初めての猫でした。保護施設にいるときに、腎不全という不治の病であることが判明し、2日に一度点滴が必要だったので我が家に来て治療を続けることになりました。獣医師からも、長くて半年の命という宣告を受けていましたので、近い内にこの日が来ることはわかっていましたが、たった3ヵ月で別れることになってしまいました。

シロは猫にしては珍しく、どんな犬にも、初めての人でも全く問題がありませんでした。お客さんが泊まりに来たときでも、枕元に行って一緒に寝ていましたし、新しい仔犬が保護されても、彼らの不安を取り除こうとするかのように、いつも一緒に遊んでいました。

シロ

私たちが仕事から帰ってくると、まず犬たちが「ワオワオワォ~」と大歓迎をして迎えてくれます。その次にシロがゆっくりと足元に来て、柔道の受け身のようにポテッとお腹を見せて転がります。着替えをするために他の場所に行くと、また足元にやって来てポテッと転がって見せるのです。畳に座ったり寝転がったりすると、必ず膝の上や背中、お腹に乗って来てゴロゴロと喉を鳴らしていました。あの仕草がもう見られないかと思うと、本当に寂しく思います。私たちが、仕事のことで落ち込んだり疲れたりしていると、いつも以上に甘えて来て、目の前でポテッと転がって見せたり、ほおを摺り寄せて来て慰めてくれるのです。動物たちは、私たちになんとたくさんの事を与えてくれることでしょう。

今まで動物保護の活動を続けて来て、たくさんの動物の死を見て来ました。中には、消化器官が弱まり、毎日下痢をし、立てなくなって床擦れになってしまう子もいました。そういった状態になったときでも自然死を待つのか、それとも安楽死を決断するのかはとても難しい選択です。長く世話をしていればしている程、安楽死の決断はしにくいものです。素人ながらも、腎不全の猫の末期がどのようなことになるのか知っていましたので、シロを引き取ったときから、そういった状態になったときには安楽死を選択しようと決めていました。私は、不治の病を抱えた子にとって、それは飼い主が与えてあげられる最後の愛情であると信じています。

ある意味で、シロの死は理想的なものでした。食欲が無くなり痩せて来てはいましたが、前日まで犬たちと戯れて遊んでいました。おそらく本当に苦しかったのは、亡くなるその日だけだったと思います。飼い主に「安楽死」という苦渋の選択をさせることもなく、フッと火が消えるように私たちの前から去っていきました。最後の3ヵ月をひとつの家庭の中で過ごし、飼い主の腕の中で死ぬ事が出来たシロは、幸運だったと思います。

どうか保護施設の動物たちに、最後をあたたかい家庭の中で迎える事ができるチャンスを与えて下さい。保護施設で一生を過ごす事は、決して幸せな事ではありません。ひとつの家庭の中で愛情を与えられる事によって、はじめて彼らが彼ららしく生きる事が出来るのです。


© Design Office COZY. All Rights Reserved. プライバシーポリシー | サイトマップ